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疾風(かぜ)となれ

俳優を目指すも、横浜から沖縄まで自転車で移動しコテージを運営。『個』の時間や人生を大切にする人を増やすブログ

人生とは正解を自分で作るしかない「終わりなき旅」なんだ

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記事を書いた人:はやて あとで読む

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どうも、駆け出し俳優ブロガーの疾風(@hayate_cwrkh5)です。

 

あの日の僕は、「こうしなくちゃいけないんだ」とか「普通はこうだよな」みたいなものに散々囚われていたし、何より正解を探し求め過ぎて路頭に迷っていた。

 

今日はそんなあの日の僕に向けたメッセージです。人生に正解なんてないよ。

 

人生に正解を求めていたあの日の僕へ

自分の人生は自分で決める

今現在僕は、幼い頃からの夢だった「俳優になりたい」という道に向けて、順調に歩みを進めている。

 

もちろん「一般的に」とか、「普通」からすると変わった道だし、大学だって卒業間近で辞めている。

 

言ってしまえば、俳優になれるかどうかも、売れるかどうかも、この道が正解だったかどうかなんてものは全く分からないし、見当もつかない。

 

それでも後悔は一切ない。なぜなら、自分の人生という大切な一瞬を「一般論」とか「あるべき論」とか「常識から逸している」なんていう世論で決めたのではなく、『自分の意志』で決断したからだ。

 

そんな僕もこれまで『正解』を探す生き方をしてきた

そんな僕も幼い頃から散々正解を探してきた。

 

  • 自分に合う職業って何だろう?
  • 自分に合う企業ってどんなだろう?
  • どんな恋人が自分に合うのだろう?
  • 自分ってどういう人間になるべきなんだろう?
  • 幸せな人生ってどんななんだろう?

 

そんな答えの見つからない禅問答に、色んな人からの意見を聞いたり、「世間的には・一般的には」みたいな型に何とか当てはめようとしてきた。

 

それでも一向に答えは見つからなかった。

 

それもそのはず、だって「一概にこう!」とか「自分の正解」を見つけた人のアドバイスはあったとしても、それが全人類に対応してる訳じゃないんだもん。

 

『正解』があるのはテスト問題ぐらいだ

数学とか算数とか、僕らがこれまでに学んできた義務教育の中にあった試験問題にはもちろん明確な『正解』があるだろう。

 

「1+1=2」

 

という数式は揺るぎないものだし、答えを出すまでのプロセスはいくらかあるにしても、必ず試験問題というものは同じ正解に導かれるようになっている。

 

でも、『人生というテスト』はそういう訳にもいかない。

 

人によって、育つ環境も異なれば、付き合う人間も違う。学ぶものも異なれば、1人ひとり価値観や考え方だって異なる。

 

要するに、生きている人の数だけ『人生』という名の試験問題が出されており、そして答えも1人ひとりによって全く異なってくるのだ。

 

『正解』があると安心できるんだきっと

少なからず、『正解』というものが定められてると気持ちが少し救われたかのように楽になるんだ。

 

試験問題がそうであるように、『正解がある』というだけで、その正解を見つければいい訳だし、その辿り着き方を勉強すればいい訳で。

 

自分の進むべき道とか方向性とかが可視化できたり、具現化できたり、形にできるって相当な安心感があると思うんだ。

 

でもそれが答えのない「人生とは?」みたいなものになった途端に、不安に苛まされる。

 

そりゃそうだ。「この人生が正解!」なんてのは一切存在しないし、先行きも全く分からない。

 

いざ探してみると、人によって言うことも違ければ、何が正解で何が不正解かなんてものをはかる尺すらも存在しない。

 

その内、自分でもよく分からなくなってくるし、「考える」ということは至極難しいことでもある。だからきっと僕らは『正解』を求めてしまうんだ。

 

例えば「幸せとは?」を考えてみよう

「疾風にとっての幸せは何ですか? 」と聞かれたとして、昔の僕なら何と答えるだろう?

 

  • 幸せな家庭を築くこと
  • 大好きな人と一生一緒にいること

 

って1年前の僕なら答えるな。でも、「幸せな家庭」ってどんな?って今の僕なら質問する。きっと昔の僕は答えられない。

 

  • 休日には子どもと思いっきり遊ぶ
  • 奥さんといつまでもラブラブ
  • 子どものやりたいことは全部やらせてあげる

 

とかがパッと思いつくそれだけど、きっとこれはあくまで【僕にとっての幸せな家庭】であって、全ての人がそうとは限らない。

 

  • 夫婦別居生活
  • 子どもは生まない
  • 父は働かず、母が養う

 

なんて幸せの定義もあるだろう。

それは僕のものさしから考えれば、考えられないことなんだけど実際に存在する幸せの定義であることは揺るぎない。

 

「人生の正解」を探す時にアドバイスを求めることは危険でもある

人は必ず自分の中に「こう!」という自分なりの正解だったり、自分なりの正義だったり、自分なりの人生論とやらを持っている。

 

もちろんその人のために良かれと思ってアドバイスをもらうことは僕はいつも嬉しいし、とても感謝しているけど、必ずしも鵜呑みにはしないようにしている。

 

なぜならそれはその人にとっての正解であって、自分に100%あてはまるとは限らないからだ。

 

一つの指針だったり、判断材料には成り得るが、自分に全部あてはめちゃうのは諸刃の剣とも言えよう。それでしっくり来る人ももちろんいるけれども。

 

それを価値観の押しつけとか言う人もいるけれど、全くもって押しつけなんかじゃなくて、僕は「その人はそれしか知らないだけなんだ」といつも思っている。悪気がある訳じゃないんだ。たまたまそれがその人にとっての正解だったってだけなんだ。

 

「正解を探す」人生ではなく「正解を作る」人生にしよう

結局のところ、人生の正解なんていつまで経っても分かる普遍的なものじゃない。

 

だからこそ、自分が人生を終える時に「この人生で良かった」って笑って言える人生にすることが、一番の正解を作る人生になるんじゃないかってあの日の僕に伝えたい。

 

そのためには、自分の些細な感情や想いに嘘をつかずに正直に素直に生きることが求められると思うんだ。

 

  • こんな人生がいいな
  • こんな人生は嫌だな
  • これはやりたいな
  • これはやりたくないな

 

なんてことを考えていく内に、自然と自分の進みたい方向や道なんかが分かってくるかもしれない。

 

きっともっと自分の欲望に素直になっていいんだ。

 

正直に嫌なものは嫌といっていいし、好きなものは好きだと貫いたっていいんだ。

 

だって人生は、たった一度きりなのだもの。

死ぬ時になって悔やんだって何も返ってこない。待っているのは後悔と共に人生を終えるということだけだ。だったら、悔いのないように自分の気持ちに嘘はつかない方がいい。

 

もし自分が今の夢を追わない選択をしていたら、死ぬ時に必ずこう言うだろう。

 

「あの日、俳優になることを目指せばよかった」って。それが一番の人生の後悔と。

 

でもそれは防げた。正解かどうかは置いておいて、僕は死ぬ時に後悔しないで済む選択を自分の意志で決めたからだ。

 

自分の「人生の正解」を作るために読むならこの本がオススメ

 

僕はこの本を読んで、一種の「死生観」なるものを養った。

 

人生最後の日に笑って死ねる27の質問が載せてあり、以下4章構成となっている。

 

  • 後悔なく生きる
  • ドリーム(夢)を生きる
  • ミッション(志)を生きる
  • ハートの声(本心)で生きる

 

あの日の僕にこの本を読んでくれたことは心から感謝している。そして、質問を一つ飛ばすことなくレポートのようなものにまとめてくれたことも感謝している。

 

合計13,000字を超える卒論のようなものに出来上がったが、今となっては何度も読み返して自分の進みたい方向性を確認できる大切なコンパスのようなものになっている。

 

ラストメッセージ

時代は混乱し続け その代償を探す

人はつじつまを合わすように 型にはまってく

誰の真似もすんな 君は君でいい

生きるためのレシピなんてない ないさ

 

僕の大好きなMr.Childrenの名曲「終わりなき旅」の一部分。

 

本当に人生に「生きるためのレシピなんてない」んだ。

 

例えどんなことがあっても、人生最後の日に笑って悔いなく終えられるかどうかだけが、僕の指針なのだから。

 

答えのない人生を楽しめ!あの日の自分。