疾風(かぜ)となれ

俳優を目指すも、横浜から沖縄まで自転車で移動しコテージを運営。『個』の時間や人生を大切にする人を増やすブログ

かぜとなれ

僕の死生観は、目の前で「死」を見てきた看護師とは比べ物にならなかった

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記事を書いた人:はやて あとで読む

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どうも、沖縄移住ブロガーの疾風(@hayate_cwrkh5)です。

 

先日、アルバイト帰りにあった出来事と看護師の方から聞いた話。

 

看護師のイメージ

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看護師って聞いて、どんなことを思い浮かべます?

 

年収はいくら?とか、転職率は?とか、失業率、派遣、過労で辛いとか、、、人それぞれイメージすることがあるかと。

 

僕は、完全にこれまで過労で、ほんとに大変な仕事を担ってる人たちだと。

 

でも、実際に看護師の話を聞いてみると、もう想像以上だった。

 

看護師の分析力

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僕が驚いたのは、その分析力。

 

人を視る目が、僕の知っている人脈の中で一流の人たちに劣らない最高級のものだと。

 

というのも、初めましてなのに、

 

  • 習慣
  • 性格
  • どんな人か
  • どんな過去を過ごしてきたか

 

など、全部知ろうとしてるというか、大体分かられてる。

 

もちろん、恋愛ごととか、家族のこととか、そういった面も推測をしてるそうで、その的中率が半端ない。

 

聞いた話によると、受け持った患者さん1人につき、1冊のメモノートみたいなものを作るそう。

 

そこに記されているのは

 

  • どんな環境の人なのか(職場や業界、家庭環境など)
  • どんな病気なのか
  • どんな人柄なのか
  • どんな過去を過ごしてきたのか
  • どんな習慣があるのか

 

などなど、覚えているものはこれだけですが、実質ノートは使い切る程メモするそう。

 

なぜメモするかというと、どんな原因でこの病院に来て、どんな病気で、それを患ったことによる影響がどこにどれぐらいあるかを考えているのだとか。

 

それこそ職場だったり、人間関係だったり、今後の未来だったり。

 

そしてどう関わっていくかとか、どうそれを戻していくかとかを常に考えているそう。

 

それを患者だけでなく、同期同士でもやってるから嘘はつけないし、隠し事はすぐにバレるそう。

 

もうなんかそのクオリティーに驚いて、自分の人間観察なんてほんとに趣味の一環でしかないなって思った。

 

帰り道での出来事

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バイト先から家まで、ほぼ帰り道が同じなので、出勤する日は一緒に帰りながら色んな話をするのだが、その日は途中の道路沿いの歩道に寝ている方がいた。

 

寒空の中、サンダルに長ズボンとポロシャツ一枚。服は結構汚れていて、ビニール傘を抱えながら丸まって寝ていた。

 

一時は通り過ぎようとしたが、『警察に電話しなくちゃ』と言って後戻りし、肩のあたりを少々強めに何度もトントントンとしながら、『聞こえますかー!』と声をかける。

 

3回程繰り返して、反応がなかったが呼吸はしていたので、すかさず警察に現在地と状況を素早く電話。

 

その間に“むくっ”と一度起き上がるも、また寝てしまい、先ほどと同じように『聞こえますかー!』と声をかけると、今度は反応があった。

 

「...うん。」

 

その反応に対して、『大丈夫ですかー?何か辛いですか?』と声をかけたり、『こんなところで寝てたら風邪引いちゃいますよー!』と声をかけたり、『お家はどこですかー?』と聞いたり。

 

そこでまた反応があって、「地元じゃねぇからわかんねぇや。」と会話が初めて成り立つ。

 

そこから『どこから来たんですか?』とか、『どこに向かってるんですか?』とか様々な質問をありとあらゆる角度からしていく。

 

途中、その人が心を開いたのか起き上がって、目を合わせて話をしてくれるように。

 

質問の末に分かったのは、その人はホームレスで、身寄りもなく、横浜方面から来て川崎に向かう途中眠くなって寝てしまったのだとか。

 

その後、無事に警察が来て、あとは任せて帰ることに。

 

ホームレスの人の看護師さんを天使かのごとく見つめる顔と、警察をやかましそうに見ていた顔の差が凄かったのを鮮明に覚えてる。

 

僕はその出来事だけでも、たくさん思うことがあった。

 

何でホームレスになっちゃったんだろう?という切り口から、今の日本の企業の雇用スタイルが問題なのかとか、そもそもそういう状況を知らなかったその人が悪かったのかとか。

 

そこで看護師さんと話したことは、後者の『その人の能力不足』ということ。

 

結局、稼げる力であったり、リストラされても大丈夫なリスクマネジメントができていなかったり、そもそもそういう情報に疎かったりと挙げるとキリがない。

 

もちろん、それを解決すればいいってもんじゃないし、答えが簡単に出るような話ではなかった。

 

よく、救急外来にそういう人が来て、何度シャンプーで洗っても泡立たない人をよく担当することが多かったという。

 

そこで偽りの優しさではなく『能力不足』ということをハッキリ伝えたり、復帰できるためにはどうすればというのも教えることなく、自分で正解を見つけられるようにしていたそう。

 

そんな依存・甘えを生まない関わり方にも感銘を覚えた。

 

看護師さんが向き合ってきた「死」とは

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(出典 : 『死ぬことについて』 : カラパイア)

 

その後帰り道で聞いた話があまりにもリアルで、かつ僕がこれまで養ってきたと思っていた「死生観」とは比べ物にならないものがあった。

 

( 以下、話を進めやすいように 看護師の頭文字をとってKさんと呼ぶ。 )

 

Kさんは、以前解剖室に閉じこもるぐらいに解剖の仕事をしていたそうで。

 

それこそ『生きるか死ぬか』の瀬戸際にいる人たちを見ているのではなく、『死んだ人たち』とずっと対面しているのだ。

 

それこそ献体安置所では、生々しい縫い傷があるご献体や、皮が剥がれて全身の血管が見やすくなっているご献体、バケツの中に脳みそがある部分的なご献体も見たりするという。

 

ご献体の手を握りつつも観察しながら、『この人はこの手でどんなことをしていたんだろうな』と、どんなに思いを馳せようとも、もちろん返答は返ってこない。

 

だからなのか、その分生きている人と会話ができると滅法テンションが上がるという。できることならば、「時間が許す限り一晩中でも二晩でも会話を楽しみたい!」と。

 

なぜなら、死んだ人とは会話ができないし、知ろうとしても知れないからである。

 

その分、生きている人とは会話ができるし、「どんな人なんだろう?」という興味関心も、コミュニケーションによって解き明かす事ができる。

 

何より、どんなに『これで人生終わりだ...もうドン底だ...』という状況に立たされたとしても、目の前で何度も「死」を見てきたKさんは

 

「いや、まだ死んでない。全然マシだ。」

 

と思うのだという。

 

同じように、自分がお腹が痛い状況で、自分の子どもたちが喧嘩をし始めて、わぁーわぁーなって、もの凄く耳障りで・ストレスフルで・イライラするとしても、

 

「あぁ、私の子どもたちも、いつかは死ぬんだもんな。」

 

と思うと、怒鳴ったり、そのイライラをぶちまけることなく優しくできるのだそうだ。

 

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僕も死生観は、人生を謳歌するために必要不可欠なものだと思い、養ってきてはいたが、この話を聞いて正直、自分の死生観なんてクソだと思った。笑

 

あまり、身近な人を亡くしていないというのもあるが、まだまだリアリティがない。

 

だから、経験しないとそこまで常に思えないし、実感が湧かないから軽視してしまう一面もある。

 

それだと、失った時に初めて気付くし、それじゃ遅いとは重々承知してる。

 

それでも、死生観を常に持ちたいのであれば、常に「死」と隣り合わせの環境に身を置くことは効果的だと思う。

 

ないしは、今回のKさんのような話を定期的に聞かせてもらうとか。

 

馬鹿げた話だけど、僕は少し生まれ変われるんじゃないか?とか、死んでも死後の世界で何かが待ってるんじゃないかと楽しみもある。

 

でも、いざ自分が「死ぬ。」ってなったら、やり残した事や、やりたかったことなんてたくさんあって死にたくても死に切れないと思う。

 

参考図書

常に死を考えること・死に触れることが難しいのであれば、参考になる以下「死生観」に関する本を手に取ってみてほしい。

 

 

 

おわりに 

だから僕は、自分の命ある限り、そして時間が許す限り、自分の好きなように自分の人生を生きていく。

 

それこそが、『生きる』ということの責任だと思うから。

 

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