かぜとなれ

自分=職業を目指してもがく、ふざけた24歳の人生の道しるべ

かぜとなれ

自分の弱みを見せるその時に、誰しもが愛される人になる

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『誰かの心を強烈にひきつける魅力は、弱さや不完全さの中に潜んでいる。』

 

どうも、駆け出し俳優ブロガーの疾風(@hayate_cwrkh5)です。

 

今日は自分の弱さを曝け出す、弱みを見せるということについてです。

 

人は弱みを見せることで愛される

僕を一言で表せば「器用貧乏」だろう

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最近もの凄い悩んでました。

 

僕より後にブログを始めた人がグングンとPV数も、収益も上げていくし、ブックマークもたくさん貰っているのを見て、『自分はまだまだだ...』とか『どこが悪いんだろう...?』とか『足りない部分はどこなんだ...』とか思ったり。

 

ブックマークを貰うことが全てじゃないのは分かってるけど、それでもされる程じゃない記事しか書けていないのかなと。

 

ましてや、『ちゃんと役に立つ記事は書けてるのか?』『つまらない記事になってるんじゃないか?』『自己満になってないか?』と散々自分を疑ってました。

 

他にも先日、男女3人ずつの6人でドライブに行ったんですが、その内の一人が女子と距離を縮めるのが凄い上手くて、もう1人は芸人目指してて話が面白いし...。僕には一体何があるんだろうと。ないものねだりで他人が持ってるものを常に羨ましく思ってしまう。

 

僕を一言で表せば「器用貧乏」に尽きる。

 

中高の体力テストも各種目1位の成績はないけど、どれも2〜3位で総合的には1位。学校の成績も同じ。テストは100点とかないけど、全体的に見れば良い方。 

 

料理とか、ブログとか、 麻雀とかもそうで。全部それなりにできちゃうけど、特別尖ったものがあるかと言われればないような氣がする。万年2位みたいな感じ。

 

 僕はそんな自分に嫌気がさしていた。

 

器用貧乏になってしまい、他の人が持ってる自分にはないものや、足りない部分を補おうとしてしまう自分が必ずどこかにいた。

 

僕の器用貧乏は完璧主義が原因だった

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僕は子どもの頃から「100点」や「1位」をとっては母親に自慢していたが、それ以外の時はなぜか報告することに負い目を感じて、することができなかった。

 

なぜなら、母親は厳しい家庭環境で育った人であるため「100点や1位が当たり前で、それ以外は全部一緒』という考えの人だったからだ。もちろん母親を責める氣もないし、誰かが悪い訳ではないと思う。

 

けれども、その習慣が根強く残ったせいか、僕はいつの間にか集団の中での自分だったり、誰かと自分を比較して優位に立とうとしたり、何より“100点や1位じゃないといけない”という完璧主義とやらに簡単に毒されていった。

 

いい記事を書かなければいけない

質も量も追求しなければいけない

毎日ブログを更新しなければいけない

 

などの「〜しなければいけない、じゃないとダメだ」という習慣がいつしか身に付いていた。

 

そんな時、友達の一言が僕を救ってくれた

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僕が最近このことで悩んでいると伝えた友達が、こんな一言を僕に投げかけてくれた。

 

『贅沢な悩みだね。笑 “人は弱みで愛される”って言うから多少でこぼこしたレーダーチャートの方がいいのかもね。』

 

これを言われて僕はハッとした。

 

確かに自分の悩みは贅沢だなと。できることはたくさんあるのに、自分にはできない部分や足りない部分ばかりに目を向けていたなと。

 

自分の弱みすら自分で認めてしまえばいい

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僕は最近、いわゆるこの視力検査の穴ばかりに目を向けていたなと。

 

足りない部分は足りなくてもいい

できない部分はできなくてもいい

 

人は元々100点で、足りない部分やできない部分を80点として捉えるのか、120点として伸びしろと捉えるのかでも大きく違ってくる。

 

そして、穴の空いている位置が違う人たちがこの世の中にはたくさんいる訳で、その穴を補い合いながら人は生きている。だって人は不完全だもん!!完璧な人なんていないもん。

 

ましてや、考えても見れば穴がない部分はこんなにもたくさんある。穴ぼこは一部なのに、穴があいてない部分を見ようとする人は少ない。

 

最初は怖いかもしれないが、自分の弱みを自分で「弱みだよね」って認めてしまうと少しは楽になる。もちろん、「弱みだからダメだ」ではなく、「弱みだけど、それもまた自分」という風に。

 

そしてその弱みを隠すことはいらないんじゃないかなと。

 

よく、「真のリーダーは弱音を吐かない!」とか「弱みを見せるなんて言語道断。」という人がいるけれども、僕はそうは思わない。

 

むしろ、「これ苦手なんだわ」とか「実は最近ちょっと行き詰まってて...」と強さだけじゃなく、弱さを見せてくれる人の方が俄然ついていきたくなるし、応援したくなる。

 

強さだけを前面に押し出すと、弱さがどこかないがしろにされているようで物悲しく感じる。逆に、弱さすらも受け入れて、曝け出す人の方が人間らしいもん。

 

もちろん勇気はいる。「弱みを曝け出す」ということも簡単なことではない。それでも、強がる辛さに比べたら、一瞬のことなんじゃないかな。

 

もちろん自分で弱さを認められなかったら、まずは誰かに認めてもらえばいい。友達でもいいし、家族でもいいし、恋人だっていい。

 

誰かに認めてもらえて初めて受け入れることができる自分の弱さってのもあると思うから。

 

もちろん時折不安になることもある

 

ブログを書きながら、ちゃんと役に立ってるかな?って思うけど、こういう時は、「不安だ」って言っていいし、「だいじょぶかな?」って心配していい。きっと支えてくれる誰かがいるはずだから。

 

そのために人には「感情」があるのだと思ってる。

 

悲しい時は泣けるし、嬉しい時は笑える。

さみしい時は、さみしいと言えばいいし、苦しい時は苦しいと言っていい。

 

そんな人間らしさを大切にすることが、自分の弱みを見せるってことなんじゃないかな。

 

そして、たった1人でも「役に立ちました!」とか「いつも読んでます!」という人がいると、それだけで書いてよかったなって心から思える。

 

 

ぴーらっつさんが言ってくれたように、僕の声やこの記事を必要としてくれる人のもとに少しでも多く届くように、これからも一記事ひときじ大切に更新していきます(*^^*)

 

 例え何もできなかったとしても、価値のない人なんていない 

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誰にだって、何もできない過去があったはず。

 

誰だって赤ちゃんの時は、腹が減ったら泣き、しょんべんをしたら泣き、眠くなったら泣く。

 

泣くことしかできなかったとしても、両親や周りの人を笑顔にする力があるし、癒す力があるし、愛される力があったじゃないか。 

 

人は誰しも最初から、何もできなかったとしても価値があって、愛される存在であるということは変えがたい真実だと僕は信じている。